果てしなきスカーレットを鑑賞
細田守監督の「時をかける少女」と「サマーウォーズ」が好きで、それ以降の作品は好みではないのだが、次は良いかもしれないと思って毎回劇場で観ている。この作品も予告編の段階でその評価を予測したのだが、もしかしたらという期待が劇場に足を向かわせた。
公開日2日目の予約を池袋グランドシネマサンシャインで確認したところ、上映1日前の午後にも関わらずIMAXのプレミアムシートが空いていた。不吉だ。当日劇場に行くと、3連休の初日にも関わらずまったく混んでいない。話題作と呼べる作品が少ない時期で、鬼滅の刃などと比べるのはフェアではないが、それにしても人が少ない。
上映が始まり、最初に「デンマーク」という言葉が出てくる。中世のヨーロッパにスカーレットなんて名前があるとは思えない。なかったとは断言できない。劇中の言語を翻訳したら「スカーレット」なのかもしれない。しかしなぜ中世のデンマークでスカーレットなのだ。
思考や行動の一貫性については、現実でも重視する要素だ。ある目標に対して一貫性のない意思決定はプロジェクトを失敗に導く。なので、最初は復讐に燃えるスカーレットや、不殺を貫く看護師の聖(ひじり)に好感を持ち始めていた。しかし二人とも、そんな理由でいいのか、という初志の不貫徹さをみせる。女の子が惨めな目に遭う、日本人1人のために時代が交差する世界観になっている、擦られまくったテーマにも関わらず薄い内容、声がうるさい、といった感想は既にインターネット上に溢れていると思う。
ひとつ興味深かった点が、死後の世界で死や略奪が存在する理由付けである。死後も生前と同様の生活をする描写としてはBLEACHの尸魂界(ソウルソサエティ)と似ている。更なる死を迎えると魂の流転がなさそうな点や、ひろく一般に空腹が存在する点がBLEACHよりシビアである。弄りがいがありそうだが、本作では聖を存在させるための設定となっていた。