おでかけ子ザメと、自分の記憶
ペンギンボックスさんの、おでかけ子ザメという短編マンガのシリーズがあるのですが、読むと凄く切なくなるし、涙も出てくるし大変なのです。
おでかけ子ザメ(最初のツイート)
おでかけ子ザメ 映画館におでかけ(Pixiv)
よい環境とよいキャラクターで構成された世界だから感動する、というのもあるのですが、私としては子供がひとりでいたり、ひとりで暮らしている可能性がある描写が心を締め付けるのです。苦しいといってもよいですが、この作品が悪いわけではありません。この、子供がひとりでいる描写をみると、自分が小さかった頃の記憶のほんの一部がよみがえるのです。
幼稚園にも行っていなかった頃。親と祖父は仕事で、祖母と家にいたとき、大雨が降ってきました。気がつけば祖母がいません。私は雨の音と、ひとりでいることが不安で仕方なくなりました。傘をさして祖母を探しにいくことに決め、傘を差して外に出ました。自分に使えるのは、大人用だけど少し小さく、濃い赤と黒のまだら模様で、骨が何本か折れた傘でした。それでも全部開けず、テントのように傘の中に頭をうずめました。祖母が居るのは、ほんの少し先のご近所さんでした。見つけたあとは一緒に帰った気がしますが、その後はよく憶えていません。
おでかけ子ザメを読むと、このときの心細さがよみがえるのです。子ザメがなぜひとりなのかが明かされていないので、胸は締め付けられるままです。親が仕事で海外に居るとか、実は普通に家族もいてたまにひとりでおでかけしてるだけとか、もしポジティブな状況でなくとも何らかの説明を頂ければ助かります。
ちなみに私は雨や雷が大好きで、天気の悪い夜なんかは寝付きがよいです。ひとりは怖かったけど、大雨のなか人探しをするのはワクワクしていたのかもしれません。