石油を掘っている

いまのところ、このサイトの記事は自分で書いている。VimやNotepad++で書いて、git commit して、git pushして、release.shを実行してS3にデプロイしている。

この一連の作業が楽しいし、技術的に意義があると思うのでやっている。それが正しいと信じている。

一方仕事では、既存のプロジェクトはどのようにAIを取り入れるかを考え、新規のプロジェクトはAI前提で進める。プロンプトだのハルシネーションだの言う前に勉強すべきことがあろうだろうとか、そういう思いは外からも内からも抑え込みながら時代を追いかけるしかない。この20年間の技術の変遷や存在理由の理解を無視してAIが言うままの実装がなされる。

AIの導入やLLMの開発に慎重になることを協調と捉えるならば、絵に書いたような囚人のジレンマが発生している。どこも裏切りを選択せざるを得ない。

普段の調べごとやプログラミング、娯楽まで生成AIの恩恵を受けている。しかしこのエネルギーは石油のごとく過去に蓄えられた資源が元になっている。我々はそれを掘り起こして精製している。Transformerの仕組みには驚嘆した。今も人知を超えた仕組みに思える。Transformerという道具がすごいのだ。その道具が過去の人々が紡いだものを掘り起こして我々が快楽のために消費している。資源が枯渇し、環境が汚されたときになにが起こるのか。耳障りのよい言葉を追いかける都度に目の前が暗くなるように思える。OS・インフラ・ネットワーク・プログラミング言語でできることが増えるたび、新たな制約ができ、制約が創意工夫を生み出し、新たな発展につながってきた。それは常に気分を高揚させるものだった。AIに対してはそんな気分にはならない。それは自分が気に入らないからに過ぎない。自分が20年間勉強し経験してきたことが、AIから返ってきた言葉と対等に扱われることが嫌なのだ。実際、AIの返答は間違いのほうが少ない域に達している。ひとつの未来は見えている。AIの返答を信じた方針と実装で大規模な情報流出や障害が起き、いくらかの規制と回帰が起きる。インフルエンサーが「AIよりも基礎が必要」と言い出して、経営者はそれに従う。この未来にならないとすれば、水が低きに流れるがごとくあらゆる判断がAIに委ねられるようになる。フィクションの世界そのものとなってしまうがそれでよいのか。その先には自身では何もできなくなった人類の破滅が待っている。

そんな中でも、原理原則を是として低レイヤーから泥臭く学習し、産み出し、守る人々がいる。それが何よりも光り輝いて見える。絶対にそれが正しい。創造性はシンプルな構造、限られたリソース、好奇心から産まれる。石油はすぐに尽てしまう。我々から産み出したものを堆積させよう。